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福岡高等裁判所 昭和29年(ネ)624号 判決

被控訴人(五九九号)・控訴人(六二四号)原告 吉本慶太郎

訴訟代理人 森茂 外二名

控訴人(五九九号)・被控訴人(六二四号)被告 小川梅吉

訴訟代理人 諫山博

主文

一  一審原被告の各控訴を棄却する。

二  一審被告は一審原告に対し八二、〇〇〇円を支払うこと。

三  控訴費用は一審被告の負担とする。

四  本判決は一審原告において二万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

一審原告(以下原告と称する)は、昭和二九年(ネ)第六二四号事件について「原判決中原告の敗訴部分を取り消す。一審被告(以下被告と称する)は、原告に対し八二、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払うこと。訴訟費用は第一、二審とも被告の負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、右請求が容れられない場合の予備的請求として「被告は原告に対し八二、〇〇〇円を支払え」との判決を求め、被告は、昭和二九年(ネ)第五九九号事件について「原判決中被告敗訴部分を取り消す。原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも原告の負担とする。」との判決を求め、当事者双方は互に相手方の控訴につき、控訴棄却の判決を求め、被告は、前記予備的請求を棄却するとの判決を求めた。

事実及び証拠の関係は、

原告において「原告が昭和二七年九月六日被告に交付した八二、〇〇〇円が貸金でなく、被告主張の宅地建物の売買代金の一部として支払われたものと仮定しても、被告は昭和二八年八月頃右宅地・建物を訴外吉永強に売却して引き渡し同訴外人がこれに居住しているばかりでなく、原告はその以前の昭和二八年三月頃、右不動産を被告に返還したので、この時原被告間の同不動産の売買契約は合意解除されたのである。したがつて、被告は受領した売買代金八二、〇〇〇円を原状回復義務の履行として、原告に返還すべきであるから、該金員の返還を求める。」と述べ、被告の主張に対し「前記不動産の所有名義のみは依然として被告に存することは認める。本訴請求の金員が手附であつて原告に返還請求権がないという主張並びに相殺債権の存在は否認する。原告は被告所有の前示家屋を被告から賃借し、また、これに前示返還の日まで居住していたけれども、その家賃はすべて支払済みであり、なお家賃は月一、三〇〇円で二、五〇〇円ではない。」と答え、甲第三、四号証を提出し、当審証人岩佐宗男・吉本ツルエ・吉本林太・増田元司の各証言及び当審原告本人の尋問の結果(一、二回)を援用し、乙第一、二号証の成立を認め、

被告において「被告が原告に売り渡した不動産は被告所有の調川町下免字江口一〇一番地の四宅地及び同地上の建物である。被告が昭和二八年三月頃原告から同不動産の返還を受け同年八月頃これを訴外吉永強に売却し、同訴外人が同建物に居住していることは認めるが、いまだ同訴外人において所有権取得登記をなさず、その所有名義は依然被告にある。原告請求の八二、〇〇〇円及び三二、〇〇〇円計一一四、〇〇〇円は民法第五五七条の規定によつて、原告は被告に請求することができない。かりに被告が本訴の金員を支払う義務があるとしても、被告は原告に対し左記(一)(二)(三)の債権を有するので本訴において対当額につき相殺を主張する。(一)被告は原告に対し前記家屋を賃料月二、五〇〇円で賃貸したところ、原告は、昭和二六年七月から同二八年三月までの家賃計五二、五〇〇円を支払つていない。(二)原告は昭和二八年二月頃長崎県北松浦郡平戸土木事務所から被告が受けとるべき建物一部(下屋)の解体補償金一三、二〇〇円を受けとり不当に利得していながら、いまなお被告に返還していない。(三)原告は昭和二八年八月頃から同二九年三月頃までの間、被告の所有である杉三寸五分角一一本(一本当七〇〇円相当)、松八分板五坪五合(坪当八〇〇円相当)、杉五分板三坪(坪当六八〇円相当)、楢一二尺一一本(二、二〇〇円相当)、八分板寸一二尺二枚(一、六〇〇円相当)を被告に無断で使用して被告の所有権を侵害し右に各記載の相当額の損害を加えているので、被告は以上につき原告に対し不法行為による損害賠償債権を有する。」と述べ、乙第一、二号証を提出し、当審被告本人の尋問の結果を援用し、甲第三号証は不知、同第四号証は成立を認めると述べ、

た外は原判決の事実欄に示す通りであるから引用する。

理由

成立に争のない甲第二号証の一、二に、原審証人吉本ツルエの証言及び原審原告本人の尋問の結果(一、二回)並びに当審被告本人の尋問の結果の一部を合わせ考えると、原告は被告に対し(一)昭和二六年六月二、〇〇〇円 (二)同年七月一〇、〇〇〇円 (三)昭和二七年二月二、〇〇〇円 (四)同年五月一三、〇〇〇円 (五)同年七月一、〇〇〇円 (六)同年七月一五日一、〇〇〇円、(七)同年八月二一日二〇〇円 (八)同年同月二二日一、八〇〇円 (九)同年九月四日一、〇〇〇円以上計三二、〇〇〇円を利息・期限の定めなく貸しつけたことが認められ、この認定に反する当審被告本人尋問の結果は採用し難く、その他に反対の証拠はない。被告が昭和二七年九月六日原告から受領した八二、〇〇〇円は原告主張の貸金でなく、売買代金の内金であることは、原判決の認定する通りであるから引用する。原審証人東川一・当審証人吉本ツルエ・同吉本林太の各証言並びに当審原告本人の供述中右認定に反し、原告の主張に照応する部分は、原審挙示の証拠と対比して採用し難く、その他に原告主張の貸金の事実を支持するに足る証拠はない。されば消費貸借に基いて八二、〇〇〇円及びその損害金の支払を訴求する原告の請求は理由がない。被告は前記三二、〇〇〇円も宅地・家屋売買代金三八万円の内入もしくは手附として受け取つたもので、右売買は昭和二六年五月に成立したと主張するけれども、該主張に副う原審証人岩佐宗男の証言及び当審被告本人の供述は採用し難く、他にこれを認めるに足るなんらの証拠もないのである。

成立に争のない甲第四号証及び原審原告本人の供述(第一回)によると、原告は昭和二五年七月七日被告から前認定の売買の目的たる家屋(以下本件家屋と称する)を賃料月一、三〇〇円で賃借居住していたことが認められるところ(賃料は後で値上して月二、五〇〇円となつたとの被告の主張に副う当審被告本人の供述は信用できない。)右売買につき認定したところ及び当事者弁論の全趣旨によれば、原告はその間賃借家屋及びその宅地を買い受け、それ以来自己の所有に帰した右不動産に居住して占有したことが明らかである。しかるに、昭和二八年三月頃原告が右家屋を立ち退いて、その敷地とともにこれを被告に明け渡し返還したことの当事者間に争のない事実と、当審被告本人の供述によると、その頃当事者合意の上、右宅地・建物の売買契約を解除したことが認められ、この認定に反する証拠はない。したがつて特別の事情の認められない本件においては、被告は原告に対し、先に受領した八二、〇〇〇円を、それが売買代金の内入であろうと、あるいは手附であろうと、不当利得として返還しなければならない筋合であり、(原告は原状回復義務の履行として返還を請求すると主張するけれども、右は不当利得返還の請求を排斥する趣旨のものとは解されず、法律上の見解の誤りに出たものと認められる。)はたして原審証人東川一の証言(第一回)によると被告は該金員の返還義務を自認していたことが窺われるのである。以上の次第であるから、民法第五五七条の規定によつて、原告は被告に対し三二、〇〇〇円及び八二、〇〇〇円の返還義務がないという被告の主張は採用のかぎりでない。

つぎに被告の相殺の抗弁について判断する。

(1)  被告主張の事実摘示(一)の家賃債権について。当審証人吉本ツルエの証言及び当審原告本人の供述(第一、二回)によると、原告は被告に支払うべき賃料をすべて支払つており、未払賃料の存しないことが認められる。この認定に反し、被告の主張に対応する当審被告本人の供述は採用し難く、その他に家賃債権の存在を肯認すべき証拠はない。(もつとも賃料が月一、三〇〇円であつて、二、五〇〇円でないことは先に認定した通りである。)

(2)  被告主張の事実摘示(二)の不当利得返還債権について。成立に争のない乙第一号証、原審証人林田虎雄、当審証人増田元司の各証言と当審被告本人の尋問の結果の一部とによれば、原告は本件家屋を被告から賃借して居住していた当時、本件家屋に、被告の承諾を得て、すべて原告の資材及び費用をもつて下屋を付築したこと、(したがつて付築の下屋は本件家屋の付合物として被告の所有に帰したところ、)その後同家屋を原告が買い受けて所有権を取得した(この点先に認定した通りである)後、調川町下免字江口に国庫補助による県道路改良工事が施行され、長崎県平戸土木出張所は、当時同家屋の所有者であつた原告の承諾を得て、道路改良拡張工事の必要上、同家屋のうち前示下屋(六坪四合六勺)をさながら切断除去し、これが補償として長崎県が昭和二八年二月二七日原告に対し二五、八四〇円を支払つたことが認定され、当審被告本人の尋問の結果中右認定に反する部分は採用し得ない。右認定によると、かりに切断除去された下屋が、主たる建物よりの独立性を有して権原により原告の所有権の客体となりうるものとすれば、原告が補償金を受領したのは当然のことであつて、その後、原被告間の売買契約が合意解除されたからといつて、被告に対し右補償金を返還する義務を負担する道理はなく、またもし下屋が主たる建物の従としてこれに付合した物とすれば(本件は格別の事情も認められないので、先に認定したように、この場合に該当する。)同下屋は主たる建物に付合して、被告においてその所有権を取得し、これとともに原告は被告に対し、付合により下屋を喪失したことによつて、その価格相当額の償金を請求しうる関係に立つにいたつたのであるが、かかる法律関係の下において、被告が原告に対して本件家屋を売り渡し、(しかも、当審被告本人の供述によれば、被告は原告が下屋を附築したという事実に基く原告の権利関係を認めてこれを尊重し、本来四〇万円で売渡すべきところを、減額して三八万円で売渡しているのである。)下屋及び主たる建物が共に原告の所有に帰した当時(殊に県道改良拡張工事という公共の利益となる事業の必要から、この事業に協力するため、)原告が下屋の切断除去を承諾したことは当然のことで、長崎県がその補償金を原告に払い渡したことも適法の措置である。もつとも、原告が長崎県から補償金を受領した後に、原被告間の売買契約が合意解除されたことは先に認定したところから明らかであり、がんらい売買契約の合意解除は、売買契約がなかつたのと同一の法律効果を生ぜさせようとする趣旨のものであるから、売買契約から生じた法律効果は、すべて遡及的に消滅する結果、(解除に関する特則の適用はないが)原告はあたかも被告の権利に属する下屋の補償金を受領したことになつて、不当利得として一応これを被告に返還すべき義務があるかのように見えるけれども、他方原告は被告に対し下屋の喪失による償金請求権を有していたのであるから、合意解除の結果、下屋の法律関係を含む建物所有権が被告に復帰するとともに、右償金請求権も原告に復活する筋合であつて、かりに被告が長崎県から補償金を受領していたとしても(前示林田虎雄の証言によると被告は補償金の額が少いとて不服があつたというのであるから、格別の事情の認められない本件において、原告が下屋を付築した結果、原告につき生じた被告に対する償金請求権の額は、右補償金額を超ゆることはあつても、それ以下ではないと認めるのが相当である。)、もちろん受領の有無を問わないのであるが、原告は被告に対し少くとも右の長崎県から受領した金額と同額の償金請求権を有する道理であるから、以上のことを彼是考えると、本件において、原告が被告に対し長崎県から受領した補償金を不当利得として返還すべき義務があると見たところで、被告も補償金と同額以上を同じく不当利得として原告に返還すべき筋合であるので、かかる場合は、公平と正義を基調とする不当利得制度の性質に照らし、原告が長崎県から補償金を受領すると同時に、原告の被告に対する内在的償金請求権(売買が合意解除された時に原告に復活する償金請求権)は、受領金額の限度において消滅し、かつ、他面被告の原告に対する内在的不当利得返還請求権(売買が合意解除された時に被告に復活する不当利得返還請求権)も対当額につき消滅するものと解するのが担当である。しかも、本件においては、当審被告本人の尋問の結果の一部によると、原告は賃貸借終了の際は、付築した下屋を撤去し原状に回復して返還することを条件として、賃借家屋に下屋を付築することを許諾したことが認められるので、原告は該下屋を撤去する権義を有している者であり、原告が本件家屋の所有権者であつた当時、前説示のように右下屋が切断除去され結局その結果として同家屋はここに原状に回復されるにいたつた次第である。もつとも本件家屋の売買によつて賃借人たる原告がその所有権を取得すると同時に、被告を賃貸人とする同家屋の賃貸借関係は混同によつて消滅したのであるが、その後右売買契約が合意解除されるとともに特別の事情も認められない本件においては混同によつて消滅した賃貸借は当然に復活し、したがつて、原告の前記原状回復返還義務も観念上は復活したものと解すべきであつて(この点は理論上もまた当事者弁論の全趣旨に徴しても明認される。)原告はその頃すでに原状に復した本件家屋から立ち退いてこれを被告に返還したことは当事者弁論の全趣旨に照らして肯認されるので、原告は結局賃借家屋を原状に復して被告に返還したこととなる次第であるから、この点からしても被告に不当利得返還の請求権が存する道理はないので、該請求権の存在を前提する被告の相殺抗弁は理由がない。

(3)  被告主張の事実摘示(三)の損害賠償請求権について。この点につき被告の主張に副う当審被告本人尋問の結果は信用し難いし、その他に右請求権の存在を認めるなんらの証左もない。されば被告の相殺の抗弁はすべて理由がない。

したがつて、原告の貸金三二、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和二九年二月一一日以降年五分の割合による遅延損害金の請求を認容し、貸金八二、〇〇〇円並びにその損害金の請求を棄却した原判決は相当で、これに対する原告及び被告の控訴はいずれも理由がないが、原告は当審において新たに予備的に八二、〇〇〇円の不当利得返還請求権に基ずく請求をなし、この請求は認容すべきであるから、民事訴訟法第三八四条・第九五条・第九二条・第一九六条を適用し主文の通り判決する。

(裁判長判事 桑原国朝 判事 二階信一 判事 秦亘)

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